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utee from tokyo

血液型:A型

趣味:音楽、スポーツ、映画鑑賞

特技:フットサル

 

エロクトロニクスなビートにストリングスのメロディーを乗せて作るトラックが特徴のフリートラックメーカー。現在、トラックメーカーとしての活動は公には行っていないが、日々新しいトラック制作に没頭している。

1993年7月東京・三鷹で産まれた。utee from tokyoの由来は本名のゆうとから来ていて、 ユニクロTシャツのUTが大好きなことから由来している。 座右の銘は「今を生きる」
もともとはバンドンで担当パートはドラム。5歳の時にドラムに出会い、はじめる。 バンド人生の始まりは、中学生時代に組んだのちにDr.pepperになる"GOLDEN EGGS"というバンドがきっかけで 2009年、高校に進学し某スタジオ主催の高校生バンドコンテストがDr.pepperの発進ライブであり、自身のバンド人生の始まりである。 高校時代はDr.pepperとして精力的に活動し、2009年だけでも数回のライブを行うが、 メンバーの受験期に入ったのをきっかけに2012年3月に解散。Dr.pepper活動中もパンクバンド"THEE STONE WALL"や同級生と組んでいるコピーバンド"MOMENTS"の活動も続けていた。 Dr.pepper解散後はコピーバンド"三角チョコパイ"やパンクバンド"バリカン"のサポートを務めるなど 精力的に活動していた。2012年夏に自身が勤めていたライブハウスのスタッフとエモスクリーモバンド"Under my Hearts"に正式に加入しライブをこなすが 2013年10月に自身の受験とメンバーとの活動ペースの違いで脱退。
バンド活動以外にも地元吉祥寺を拠点に自主企画を打っており、タイトルは"Play What We Play"で意味は「私たち(出演者)のようにあなたたち(来場者)も楽しめ」という意味で、ジャンルの壁を作らず、POPSからHARDCOREなバンドを呼び不定期で行っている。 タイトルの由来は本人が好きな映画"SAW"の主要登場人物ジグソウの言葉"See What I See(私のように見ろ)"から来ている。

その後"NAVYS"というポップパンクバンドを組んでいたが、2014年10月に解散している。さらに。マネージャーを勤めているMixture Band "Style"のドラムが活動できないため、サポートとして活動している。 また、保健体育の教員になりたいという夢があり大学進学を目指していたが2浪の末その夢がなくなってしまい、バンドマンとして成功したいという夢を持ちながら 活動を続けている。

NAVYS解散後、次のバンド探しまでの間に空いた時間で少しずつ作っていた自己満足のトラック集 1st Track Album

"Is A Great Day To Be A Good Day"を完成させた。意味は「素晴らしい日は、楽しい日であることになっている。」で、毎日を楽しんで生きたら将来過去を振り返ったとき楽しい事しかない無いのではと言う思いから付けられた。

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